>> Spiderlily BLOG「diary of Spiderlily」より転載
子どもが産まれてから2ヶ月たちました。
我が子に修行僧のような名前をつけたらば、大仏のような顔になりました。名は体を表すとはこのことか。時々ミャンマーの寝仏さながらの仏陀フェイスで空を眺め風を感じておられます。そして大仏様はおとといから一生懸命言葉を発しようとしておられます。うまくしゃべれてない様が可愛く、早くも感動して泣きそうでヤバイです。
とはいえ大仏のふりしてても中身は生後2ヶ月の赤子。覚悟はしてましたが生後一ヶ月はやはり大変な日々でした。エンドレスの授乳&おむつ替えで、眠る時間もない。出産直後の体はへろへろなのに、食事をとるどころか座る余裕もない。逃げちゃおうかと一瞬思うけど子は泣く…。
今更ながら、世の中の子どもを持つ親は皆こんな大変なことを経験していたのか、すごすぎる、と尊敬の念を抱くようになりました。
しかしそんな赤子も一ヶ月が過ぎると急に夜眠るようになり、段々落ち着いてきました。
先日髪を切りにいった際、いつもの美容師さんに
「りりぃさん、陣痛ってどんな感じですか?」と尋ねられたので
「あーあれは、目覚まし時計ですよ。アラームのスヌーズ」と答えました。だって体の中がジリジリ、定期的に振動するんだもん。 前回の日記に書いたとおりです。
次に「じゃあ産後の生活の過酷さは例えるならなんですか?」と聞かれたんだけど、産後の生活は例えるなら「禅とか仏教系の修行」だと思う。どんなに理不尽な要求を赤子がつきつけてきても決して怒らず常に笑って、穏やかに穏やかに。怒らない修行。受け入れる修行。
「昨日も一睡もしていないのに、何故泣く!?」
と怒りたくなる気持ちをぐっとこらえ
「なぁーに」と微笑む修行なんではないかと思います。
きっとそうやって人は大きくなっていくのでしょう。
そんな私の最近の愛読書は小池龍之介の「煩悩リセット稽古帖」。
この本は禅や仏教の概念を四コマ漫画をベースに、ライトにポップに解説する説法本なのですが、ついつい怒りそうになり、おのれの未熟さを思い知り、この本を手を伸ばす修行が足らない私(笑)。
この本に書いてある四コマ漫画の問答に
「なんだいこのうすいみそしるは!」
「もっと美味しく作ってくれるべきと仰せなのね」
「ん、まぁ、いやはや」
「美味しく作ってくれなくて傷ついたのね」
「ん、まぁ」
というのがあります。
これはあれです、自分に都合良く動いてくれない他人に対して怒りを露わにすることのあさはかさに気づくべし、みたいなことらしい。
最近の私は時々怒りたくなる気持ちをぐっとこらえ
「なんだいこのうすいみそしるは」
とぶつぶつつぶやいております。修行、修行。
そんな私は9月25日高円寺無力無善寺で、口石アキラさんの企画イベント
で産休明け。ちょっと気が早いですがSpiderlilyライブ再開します。詳細はまた後日。
無力無善寺は文字通り高円寺にある禅寺。修行僧の母となったりりぃちゃんのおうたを皆さん聞きに来てくださいねー♪
(↑嘘。無力無善寺は一風変わったライブスペースです。なかなかよい空間なので皆様おいでませー)
竹森美佐子先生という食育の専門家の先生がいる。私は一時期ストレスから体調を崩し激太りし、悩みに悩んで、竹森先生の食事指導を受けたことがある。そのとき竹森先生は体を正常に戻すための食事の決まりをざっと説明してくれて「やることはこれを守るだけ。あとは体が教えてくれます」と言った。私はそのとき竹森先生に教えてもらったとおりの食事を続け、みるみる健康を取り戻したのだが、「あとは体が教えてくれる」というこの言葉は忘れられない。
私にとっては出産も同じだった。やるべきことは「体の声を聴く」。ただそれだけだと思った。
陣痛室に入る頃には、陣痛の波は本格化していた。歩くのもやっとで水を飲んでも吐いてしまう。最初はただ陣痛が勝手に進んでくれるのだと思っていたけれど、そうではなく6時間たち夜が明け始めても、子宮口はまだほとんど開いていないと言われ愕然とした。
そうか、ここからは受け身ではなく自分の体の力を使わなきゃいけないんだ。そう思うと、そこからは何故か、どうやったらいいか閃くようになった。通路にバランスボールがあるのを見つけ、なんとなくそれを使って、体の一部に力を入れ、痛みをやりすごすのではなく、波を利用して体を開いていく。不思議だが、どうしたらよいのか、その方法がすっとわかる。その後一時間で子宮口が全開になった。そこからは分娩室へ移動だ。分娩室でもやはり、これまで経験したことでもなく、どうすればいいか習ったわけでもわけでもないのに、どうやったら赤ちゃんが出てくるように体を開けるか、わかる。それはとてつもなく不思議な感覚だった。人間の体の、本能の力を感じた。私はただ深呼吸し、集中して、感覚が指示するとおり体を開いていくだけ。
そうして6時間が経過し、自然分娩で元気な男の子が産まれた。微弱な陣痛の始まりからは丸2日かかったので飲んだり食べたりもまるで出来ない状態が続き、体は衰弱し、頭は朦朧としていたが、痛みとかではなく、ふわっとあたたかい流れとともに子どもが産まれた。
どうしたらいいのか、体の声が全てを教えてくれた。私にとって出産は「体の力を全て使った」という充実感に満ちた、他では得難い体験だった。
しばらくブログが更新できませんでしたが、6月末に無事元気な男の子を出産しました。私にとって陣痛が始まってから出産までの時間は、とてもとてもよい時間でした。産後一ヶ月半たち体調も戻り、赤ちゃんのいる生活にもだいぶ慣れました。少しあの時間を振り返って書いてみようと思います。
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世の中には経験しなければ分からないことって色々あるけれど出産はその最たるものだと思う。
体の力を全て使い、いのちを生み出すその感覚。そこから始まる産後の怒濤の日々も含め、子どもを持つ人は皆こんなすごいことを経験していたのか、と感嘆することしきりだ。
出産は月の満ち欠けに影響を受けるらしく、満月や新月の日に子どもが産まれることが多いと聞いていた。だから私のおなかの子もなんとなく予定日直前の満月の日に生まれてくるような気がしていた。その予感はやはりあたっていて、満月の前の晩、夜中に目が覚めると、体の中でじりじりと目覚まし時計のような振動がはじまっていることに気づいた。
じりじり、じりじり。体の中が小さく震えている。
「あ、これが陣痛のはじまりだ。」
そう思って振動の間隔をはかるときっかり10分おきに震えている。体の中のかすかなアラーム。
陣痛というものは定期的に痛い時間と痛くない時間が交互にやってきて、段々とその間隔が短くなり、5分おき、3分おきになり、1分おきになり、そうしてやっと子宮口が開き、赤ちゃんが外に出る用意がととのうと聞いていた。陣痛が本格的になるまでは大好きな自宅で過ごそうと思った。私が一番落ち着いて過ごせるのは自宅だから。
夜空には白い満月がおぼろに浮かんでいた。それを眺めながら私はandrew chalkの「ナホトカの幻」を聴いていた。ソフロロジー式の呼吸法で産むつもりだったので、あぐらの姿勢で座り、腹式呼吸で瞑想する。陣痛は段々と激しくなったが、それは痛いというのとはちょっと違い、体中でアラームがなっているような不思議な感覚だった。それを受け入れる。そのうち陣痛が激しくなり、あぐらの姿勢も段々きつくなる。そこからは壁に手をついたり、窓際に横たわって満月を眺めながら内なる振動をやり過ごした。夫は隣にいて、時々音楽を変えてくれ、腰をさすったりしてくれた。それはとてもとても静かな夜だった。
陣痛とは子宮の収縮で、収縮が子どもを子宮から送り出す力になる。つまり陣痛が本格的になるまでは子どもは産まれてこない。私の場合陣痛が5分間隔になってから有効な陣痛の波になるまでに丸一日かかり、翌日の夜中、もう歩くのもやっとという状態になってから、ようやく産院の陣痛室に入ることができた。
妊娠37週に入りました。今週からはいつ生まれてもよいそうなので、数日前から産休に入り、のんびり中。この頃の私の関心事、キーワードは「ゾクチェン」。ゾクチェンはチベット密教の考え方の核にある「大いなる完成」を呼ぶそうで、最近はいろいろな関心事がこのゾクチェンと同じところに端を発して広がっていきます。
さてお腹の子は体外で生活できる機能も完成しもういつ産まれてもよいそう。なので、「じゃあ自分はどう産もうかな」というのを考えたりしています。療養所で暮らしていた頃、森田療法や内観をベースにした治療を受けていました。治療というよりは、誰もいなくて何もないところでただただ一人で瞑想する時間を過ごしたというのが正しいのですが・・・。おかげで、私は瞑想が普段の生活にしみこんでいるところがあります。その流れでいくとやっぱりソフロロジーかな?どうにも私には「出産=痛い=怖い」という図式がピンと来ないのです。一度ICUで死にかけているというのもあり、感覚として「どれほど痛くても人間痛みが去れば、すぐに痛み自体を忘れてしまう」というのが身にしみているというのもあります。「体が死に向かう痛みと比べれば、いのちを産み落とす痛みが絶望的に痛いわけがない」というのもあります。その痛みはたぶん喜びが姿を変えたものだろう。
そう感じているので、やはり出産には不安はなく、楽しみであり、どう産もうか、どう過ごそうか、とわくわくしたりしています。ソフロロジー式出産とは出産の痛みをあるがままに受け入れ、自然な腹式呼吸で出産するというやりかたのようです。といわれると、私的には今更学習するようなことでもないかな、普段通りにしてればいいんだと思うのですが、出産にあたり産院に「バースプラン(自分はどう産みたいか)」という書類を提出するので、わかりやすく「ソフロロジーの考え方でいきます」と書こうと思っています。
でも妊娠出産ってほんとに面白い。出産日が近づくにつれ、野生の感覚が戻るのか、蛍光灯がとみに苦手になってきました。できればほの暗くてあたたかいあなぐらのようなところがあったら、そういうとこに入って木の葉かなんかかぶってつるんと産みたい。病院って蛍光灯がこうこうとついているし、他人もいるからイヤだなと思い始めました。助産師さんと自宅出産とかそういう道を選べば良かったのかもしれないな。
でも過去の持病があるために受け入れ先に大型総合病院しか選べなかった私にとってそれは今から選べる道ではないので、産院でできる限り自分の望む出産をしたいと思う。あと数日か数週間はその準備をしながら過ごそう。
檜の香、ドローンミュージック、夫のギター、腹式呼吸、静かな時間。瞑想、喜び。それだけあればよい。
蝉が鳴いたと思ったら冬コートでも寒い。
急に暑くなった日。アイスを食べながら
「蝉は昨日までどこに居たのかな?」と夫に聞いてみた。
「土の中だよ」
翌日、寒さに震えながらまた夫に聞く。
「昨日の蝉はどうなったかな?」
「天に昇っちゃったかも…」
せつないですね、異常気象。蝉の人生までも翻弄しちゃうんだもん(哀)。
かと思ったらおととい朝起きたらとっても良い天気。
急にどこかに出かけたくなってうずうずしてきたので、お友達でカメラマンの創遥(sonata)ちゃんと連れだってカメラ片手に立川へ。昭和記念公園をお散歩してきました。
昭和記念公園は今が花盛り。チューリップ、菜の花いろんな花が咲いていた。
異常気象のことはすっかり忘れ、春気分。
創遥ちゃんに会うのは2年ぶり。彼女の撮る写真は透明感があって、その中に生命力とか躍動感とかが跳ねていてとても好き。栗鼠のように動く眼も相変わらずキラキラしてて嬉しくなってしまう。森ガール姿で花畑に溶け込む創遥ちゃん、花畑と森ガールを交互に眺めて相好を崩す私(←おやじ化)。
http://sonata.beatstyle.net/
創遥ちゃんのサイト
『レクイエム』という本に心が生き返った菜の花畑のことを書いたけど、毎年春になると菜の花畑で黄色を浴びるのが私の恒例行事。
あの菜の花畑は療養所のあった宮崎の海の近くにあって、毎年3月は菜の花を見に帰っていたんだけど、今年は妊娠後期にさしかかり飛行機にのるのが難しそうだったので、やめた。
けど春が来ると条件反射のように菜の花を見たくなり、そわそわしていたんだけど。
お散歩の最後に菜の花畑が現れて、あの黄色に包まれたときは心が溶ける感じがした。
今年も一年よく頑張りました、自分!

桜は散り際が美しいと思う。
特にこういう色合いを見つけると嬉しくなる。
新しいカメラで撮ってみた。少し慣れてきたかな。
桜の時期といえば、おととしは一週間の伊豆取材に出ていて、伊豆高原や奥伊豆松崎、西伊豆の海岸で桜を見た。
去年は宮崎・飫肥城で気の早い一本桜を、それから東京に戻ってきて自然散歩本の取材で大宮八幡宮や和田堀公園の桜を見たな。
今年の桜シーズンは自宅で岡山の記事を書きながら、地元・井の頭公園で二分咲き、五分咲き、満開の桜を堪能。
5年ほど前は東北・角館で桜を見たけどあれは見事だった。
みちのくの小京都、武家屋敷に咲く威風堂々としたしだれ桜。

きのうは口石アキラさん企画の「口石アキラの無計画戦争~マジで拒否する5秒前~ 第1回」を見に無力無善寺へ。無力無善寺は前々に聴いていた噂から念とか落ちている怖いドロドロした場所だと勝手に思っていたが、全然違った。すごく居心地がよくて気に入ってしまった。
Spiderlilyではギターとドラムをお願いしている、森本くんとホンジョウさんは昨日はふたりで森本在臣ソロでの出演でした。とても美しかった。口石アキラさんも不思議なポップ感とか、言葉のセンスとか面白い。最後に出た「我々」、こういうタイプのバンドも久しぶりに見たので楽しかったな。SGベースのおねえさんのストラップの低さはさすがだわ。ベース女子はああでなければね。私いつからストラップ位置普通になってしまっていたのかと自らを省みました。蓮尾さんやのりそそさんにも会えてとっても和みました。
それにしても壁に貼ってあるモノや天井からぶらさがっているブツがいちいちツボ。熊野新宮の牛王符があってにっこり。ヤタガラス。猫の菩薩とか、埃まみれのドナルドがやたらにかわいいんだけど。あとBGMのにゃんにゃんにゃん~♪とか。無善寺のあの空間好きだなぁ。私も楽器持ってふらっと唄いに行きたいな。森田童子テイストでソロとかしっくりきそう。
今年に入ってからはさすがにはらぼてなので、ライブは頻繁には行けないけど、行くといつもいいイベントな気がする。2月はおばけ遠足に遊びにいかせてもらった際、念願叶って山本達久さんのドラムを見れたので大満足。3月は先日のUFOクラブでのマサコ倶楽部、SLUDGE、バートルビーの出た日もイベント全体とても楽しかったです。
さてマタニティ期間もあと三ヶ月。産前に準備することもあらかた落ち着いたし、つわりやアトピーもおさまり今が一番体調が楽かも。残り三ヶ月のマタニティ期間は楽しくなりそーだ。一度くらいライブ出来たらいいんだけどなー。しかし怖いなー。やっぱ宅録かしら?
そいえばおなかの子はやたらによく動きます。胎教がてらに自分の好きな音楽をいろいろ聴いているのですが、チベットの密教寺院CDやyoshi wadaなどのドローンもの、whitehouseなどのノイズといった静かor単調な音を聴いていても無反応ですが、頭脳警察やTHeROCKERSなど起伏のはっきりした音をかけていると嬉しいのかぽこぽこ蹴ります。もう外の音きこえるらしい。ていうか、ストレートなロックが好きなのか?
なかでも一番反応がいいのは私的にも最もかっこいい映像&音楽のひとつである石井聰互監督映画『爆裂都市』opのセルナンバー8。私がこの動画を見ているとぼこぼこ動いたり蹴ったり。どうも喜んでいるようです。
もうなんかお腹のなかに個性あるひとりの人間がいるって感じがびしばしする。
いい音楽いっぱい聴いて、よい子に育つんだよ~!
吉祥寺という街が大好き。
学生時代は中野に住んでいたが、親友が吉祥寺近辺在住だったのでしょっちゅう遊びに来た。井の頭公園の七井橋の上で何時間もぽけーっとしたり、パルコの屋上でフリマやったり。バンド仲間とスタジオ入ったり、ロックバー酔舎で延々飲んだりしてたっけ。吉祥寺WARPがまだZENだった頃。ZENでライブとかやったな、そういえば。
それからあちこち引越したけれど、どのみち休日は吉祥寺まで遊びにくるので、結局自分も吉祥寺に住むようになり、もう結構長い。年老いたら夫と二人で南国の海辺に移住するつもりなのだが、それまでは末永く吉祥寺で暮らしたい。
そんな愛着のある吉祥寺がこの3月、変わろうとしてる。駅前のシンボルユザワヤが閉店、吉祥寺三鷹といえばロンロン、のロンロンが閉店。ロン地下の啓文堂も閉店。伊勢丹は昨日閉店。ロンロンはアトレになり、伊勢丹はH&Mになるとか。啓文堂は丸井に移るらしい。 駅前のひつじ時計はなくなるのかな?
私はドライかつ合理的な性格なので、古いモノがなくなるとか、人間関係が変わるとか、とくに何も思わないことが多い。モノはどんどん捨てたい人だし、過去のことにはあまり執着がないのか、どうでもいいことはすぐ忘れる。懐かしいという感情もあまりないほう。
だけど住み慣れた街が急激に変わるってなんだか変な感じだ。さみしいとか感傷的な気持ちとは違って、なんか変。なにせ街の景観がごそっと変わるし。しばらく違和感あるのかな。4月以降の吉祥寺はどんな感じなんだろう?
私にとっての吉祥寺は「文化と音楽があふれる自由な街」というイメージ。それは大学時代を過ごした早稲田と同じ空気だったりする。先日、学生時代の友人に会うことになり、久しぶりに早稲田に行ったが、ビラや立て看板がなくなって妙に整然として、あのアウトロー感が薄れていて、拍子抜けしたっけ。街とか場所の空気も変わるんだなと思った。吉祥寺の雰囲気はどうなるだろう?
将来吉祥寺がごっそり変わったり、焼け野原になったりしても、井の頭公園と七井橋はそのままであってほしいな。誰かがつまびくギターの音や、池の水面で揺れる月、いつも変わらない、あったかくて自由な場所。そこでなんとなく歌を唄ったり。
私にとっては七井橋の上がまさに吉祥寺そのもの、だったりするのだ。

今日は戌の日。帯祝いの日です。
東京で安産祈願といえば人形町の水天宮。
ですが戌の日の水天宮は大変な混雑だと聞いたので、一足先に先日のおやすみ、夫とふたりで水天宮参りに行ってきました。
本来戌の日は自宅で帯祝いをする日だそうで、戌の日より前にお参りするのは作法的に間違っていないよう。
長らく東京に住んでいますが水天宮ははじめてでした。
戌の日を避けたので混雑もせず、のんびりした時間を過ごすことが出来ました。
水天宮は日本橋や大手町にほど近い都心にあるのに、そこだけ空までぽっかり抜けるような気持ちいい場所。無事に子供が生まれたら初宮もここに来たいなぁと思った。
周辺には駄菓子屋やマタニティ服屋、人形焼き屋などが軒を連ねていて下町風情。散策も楽しかったです。
安産祈願をすませ、みすず帯(いわゆる岩田帯)と安産のお守り、そして陣痛が始まったら水に浮かべて飲むという護符をわけていただき、軽くお寿司をつまんで帰宅。
そして戌の日の今日は自宅で夫にみすず帯を巻いてもらいました。
みすず帯はさらしの帯です。さらしってなんだか清浄な感じでよいな。気がひきしまる。
そして。不思議なことにみすず帯を巻いたその夜から、おなかの子が動き始めました。
おなかの中で何かがぽこっと。ぽこぽこっと。
・・・これが噂に聞く胎動かぁ!
自分のおなかの中に人間がひとり生きてるんだなぁ、と妙に感動。
とんとんって叩いてみるとぽこっと蹴り返してくれるので会話をしているような楽しい気持ちになります。
健やかに産まれておいでね!
カメラをもらった!
NikonのCoolpix5000というカメラで一眼レフではないが、重厚感があって素敵。ライターが写真もとる際、地方取材に持って行くにはこれと一脚があればひとまず充分らしい。慣れたら一眼レフ買いたいな♪
カメラをくれたカメラマンさんがプチ撮影セミナーをおまけしてくれるというので横浜のみなとみらいをカメラ片手に歩いてみる。この方のお話が非常に面白く、眼からウロコの連続。
みなとみらいを歩き、いろんな風景を見ながら
「カメラマンとフォトグラファーと写真家の違い」
「ハイアマチュアと素人の違い」にはじまり
「自由主義国の写真家と社会主義国の写真家はおなじ景色をどうとるか」
「雑踏やモノをとりたがるハイアマチュアが何故ダメか」
「広告カメラマンは机の上のものをどう並べるか」
「写真家は工事現場をどうきりとるか」
など眼からウロコの話をいっぱい教えてくださった。
自ずと自分が何をとればいいか分かってくるという効果的なレクチャー。
私が写真をとるにあたって一番大切なことも教えてもらった。
これはあまりに素晴らしいヒントだったのでここでは秘密。
数時間ぱしゃぱしゃ撮りながら散歩しているうちにすっかりカメラも手に馴染む。いい時間だった。これから毎日散歩の友はカメラだ。
と精神的には大変元気なのだが、体調はひどく不調。
妊娠でアレルギーが悪化し、顔中に発疹、体中にじんましん。
おまけに風邪もひいたらしくひどくだるい。
ようやく産院も決まったし、ほっと安心したらどっと疲れが出た感じ。
というか12月からずっと体調悪いなぁ。
妊婦なのに動き過ぎなのかも。
しばらく体を休めなくちゃ。。。
撮影に慣れたらここにも写真をアップしますね~
私の仕事はライター業ですが、出版不況の折、旅雑誌でもライター・カメラマン問わず「取材・撮影・執筆」をひとりでこなせる人に発注が行くことが多くなっているよう。ちょうど今妊娠中で地方取材はおやすみしているし、この時間を利用してカメラもできる子になろう。復帰後は取材と撮影をひとりで受けられるようになりたい。
そんな話をお仕事仲間のカメラマンさんに話したら「じゃあカメラあげるよ♪」ということになった。嬉しい!持つべきモノは優しい先輩です。
というわけで晴れて今週カメラを手にします。
ところで、書きたいテーマのひとつに「神饌」がある。神饌は神社で神様に捧げる食膳のことでいわば神々の食卓。巫女の仕事をしていた時は朝夕神饌のあげさげをしたものだが、なんともいえず神聖な心持ちになったものだ。神饌の取材をして一冊の本にまとめたい。そう思って去年から少しずつ準備をしたりしていた。各神社に伝わる伝統的な神饌から、高千穂のししかきまつりのように猪一頭ささげるようなワイルドなもの、視野を広げてネパールなど世界の神々の食卓。それを一冊にまとめたいな。
白洲正子の世界観、別冊太陽のフォトジェニックさを併せ持つ正統派の一冊がいいな。とにかくまずはフィールドワークだな。そう考えてわくわくしていたのです。
しかし、昨日いつものように図書館で雑誌のチェックをしていたら、世界文化社『家庭画報』で「神饌」という連載がはじまっていた。うわぁ、ショックでかい。しかもこんなハイエンドな雑誌で。写真も綺麗。これはきっと連載→単行本企画だな。一読者としては嬉しいけど、うむむどうしよう、いろいろ悩む。テーマ再考。切り口変えられるかな。旅により沿った当初のテーマに戻すべきか。
そんなことを考えながら今日はまた産院探しへ。時間はフルに使っているつもりだけど、まだ足りない。もっともっと時間を上手に使えるようにならないとなぁ。子が生まれたらもっと忙しくなるんだろうし。ううむ。
カメラ片手に地方取材に出たいし。
本も書きたいし。
曲も作りたいし歌も唄いたいし。
料理はちゃんと作りたいし、子にも愛情を注ぎたいし。
しらこ修行もしたいのだ。
のんびりする時間も欲しいしなぁ。。。
ん…欲張りな気もするが、とにかくガルバンゾ。
ひとまず病院の長い待ち時間は読書して和むことにします♪
昨日はショーボートへ睡蓮の弦、dick son crazy、でらくしを見に行く。
前日まで理不尽なことが多く、くさくさしていた私ですが、大音量のdick son crazyですっきり、睡蓮の弦の静かな世界で心地よい内省にむかえた感じ。でらくしは四ッ谷アウトブレイクで見た以来だったな。皆様素敵なライブをありがとうございます。
ライブが終わった後、新年会的な打ち上げ。どう考えてもウルガなメンツで高円寺の夜。とても楽しかった。
やっぱりライブハウスで大好きな音楽を聴いて、大好きな友達と語らう時間は楽しいな。前日までのすさんだ気持ちが吹っ飛んでしまう。私は文章書く仕事も好きだし、家にいるのも大好きだけど、ライブハウスにいるのも大好きだと改めて思う。
音楽をやっていると、時々全てをやめたくなったり消えたくなったりもするし、楽しいばかりでなく、辛かったり苦しかったり、もう唄いたくないと思うときもある。たぶん歌唄いって殊更にそういう生き物。
けど考えてみれば、人生の半分くらい、こうやって音楽で人と繋がってきて、音楽があったから多くの友達に囲まれてにこにこしている今があると思うと、音楽にもバンド活動にも周りの愛すべき友人達にも感謝の気持ちでいっぱいになる。
そんなほんわりとした気持ちにさせてくれたウルガメンツでのショーボートでした。呼んでくれた睡蓮の弦の乱満姐さんはじめ皆さんありがとうございます。
さて今日は仕事が終わったら新宿モーションに行ってみよかな。

ライブが終わってから12月はあっという間に過ぎた気がする。
つわりが落ち着いたのが12月上旬。
旅取材は移動が多いしハードワークなので、今はちょっと受けられないな、仕事どうしようかな、と思っていたところ、取材なしで自宅で書ける原稿の仕事をいただいた。ありがたい。
出産してもライター業は続ける所存なので嬉しい。
子供が生まれて託児所や幼稚園に預けられるようになるまでは自宅で書く原稿の仕事や都内近郊の取材ものをメインにできるといいな。地方取材に復帰できるのはいつだろう?
と考えつつ、仕事再開し24日に無事今年の〆切納め。
25日~27日は全力で大掃除。おうちぴかぴか、キレイになった。気持ちいい。そして28日からお正月準備。おせち作り。
今年はよいペースだ。
家の玄関に門松がしつらえられていた。
大家さんの粋な計らい。気持ちがしゅっとする。
年の瀬からお正月にかけてのこの空気はなんともすがすがしい。
仕事が終わり、大掃除も終わり、やっとほっと一息つき、金柑を煮ながら今年を振り返る。
それにしてもこの金柑の甘酸っぱい匂い、お正月が来るって感じがするなぁ。
原稿の仕事も、Spiderlilyの音楽も、毎日も旅も楽しかった。
毎日ほんとに忙しいけど、毎日とにかく楽しくて笑ってばかりいたな。
「いい人生だ♪」が口癖になった。
来年は家族が増える。いい年になるだろう。
素敵な一年は、きりっとしたお正月から。
だから、美味しいおせち作って祝い膳食べよう。
初詣はどこに行こうかな。
古巣の神社か、氏神様か。
まだお腹はそんなに大きくないから着物きよっかな。
おせちに飽きたら、ささげと和三盆で美味しいぜんざい作ろう。
夏には出産を控えているけど、来年はネパールに行きたいな。
来年中に旅雑誌の記事の仕事とライブ再開できたらいいな。
いいこといっぱいありますように。
では皆様よいお年を!